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滅茶苦茶好みの音楽。
ライブでは歌声も混じるという噂が。。。
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『授業中は帽子をとれよ、このやろう。』を見て。
mk『授業中は帽子をとれよ、このやろう。』に反応して書きます。
是非このエントリーを読む前に上記のリンク先を見て下さい。

まず帽子、マナー云々の前に、“大学の授業”について意見を述べておきたい。
一つは↓でmkが書いている点。

授業というのは、先生と学生で作られる。
そのどちらかが欠けたら意味を成さなくなる。
その双方で作られるからこそ、
双方の最善の歩み寄りが必要である。
よって、いい授業を作り上げていくのは
先生であり、学生なのだ。

これはまったくもってその通りだ。
僕の先生の言葉を借りるなら、授業とは“共創の産物”である。
先生、生徒、どちらか一方がいなければ成立しない。

「教授は学生が払っている学費でメシ食ってるんだから、
 それくらいは我慢すべきだ」というようなことを
言う人もいるかもしれないが、それは違う。
だったら金払ってる人は何してもいいのか?
学生と先生が作り上げる授業の場において、
先生だけが学生にへりくだる必要なんて全くない。

僕達は金銭を支払って、授業という名のサービスを受けていると言える。
だがこのサービスは両者の行動、言動によってその価値が変化するサービスだ。
何故なら共創の産物だから。
先生が二日酔いであれば価値は下がるし、生徒が大音量でPSPをプレイしていたならやはりその価値は下がる。
すなわち、授業というサービスを受ける際、
“最大価値を享受したければお互いの努力と真摯な態度が必要だ”
と先に述べておく。
これが前提。


<以降、客観で述べているつもりですが、いくらか主観が混じっております>


『授業中に帽子を取るかどうか』の話に戻る。
この提起にはクリアにせねばならない点がある。
それは『帽子を取る』ことが授業の場においてマナーとされるのか?という点だ。
この点に関してmkは以下のように述べている。

「授業中に帽子を被っているのはなぜマナー違反なのかがわからない」
ということを言う人もいるだろう。
ではマナーとは何なのだろうか?
マナーとは「人を嫌な気分にさせないための共通の決め事」
というふうに定義づけられはしまいか?

なるほど、と思う。
イギリス人ならイグザクトリィ!とでも言いそうだ。
このmkの意見を受けて僕の意見。
そもそもマナーにはいくつかのレベルがあると思う

・就職活動で面接を受ける学生が気にすべきマナー。
・セミナー参加時に参加者が気にすべきマナー。
・地下鉄で移動中に気にすべきマナー。
・友人と会話する中でも気にすべきマナー。

その場において求められるマナーレベルは異なる。
無意識にそれに合わせて行動、発言をしているはずだ。
要するに場に応じたマナーレベルの範囲が存在するだろうということだ
例えば、友人同士でお茶している時に、
「本日はこのような席を設けて頂きありがとうございました。」
等とは言わない。(上記の言動はその場のマナーレベルの範囲外だから)

つまり、『帽子を取る』というマナー行為は、『授業』という場において求められるマナーレベルの範囲内であろうか?と考える必要がある。
そしてコレの判断がちょっと悩ましい。(mkは即決だろうけど)
多分に意見が分かれるものと考えられる。
マナーか?と問われれば、
「帽子を取ることはマナーです」と答えられるのだろうが、
無意識的に則るマナーか?と問われれば僕は苦しい。

「マナーなんだから帽子取れよ!俺は取るよ!」
と主体的に訴える人間と、
「あぁ、確かにマナーなんだろうから取るべきなんだろうなぁ。。。」
とぼんやりした(行動に移すか移さないかがテンションによって分かれる)人間に分かれているのではと予想できるのだ。
言うまでもなくmkは前者。
ごめんなさい。僕はこれまで後者。。。(これからは前者)
無論、「帽子は俺のアイデンティティだ」とするエキセントリックな人間も中にはいるんだろうけど。

一般論としては『帽子を取るべき』でコレクトである。
ただマナーレベルを=“無意識下でマナーと認識し適応できる範囲”とすると、
『帽子を取るべきか』は場で求められるマナーレベルのライン、ギリギリなのではないかと思う。
よってmkが指摘している、

帽子かぶって授業に出る人間が数人いる。

先生がそれを注意する。

場の空気が悪くなる。

という現象が発生しているものと考えられる。
たぶん、数人が帽子をかぶったままでいることは避けられない。
数学の時間毎にコンパスや分度器を忘れてくる中学生のように、毎回少人数でも発見されてしまうだろう。
ただ、mkの言うケースの場合、

今日も4限のM橋教授の授業中に注意されてるやつがいた。
「おい、授業中は帽子を取れ」と。
うちの大学ではもう聞き飽きた言葉だ。

と最初にある。
注意をしない教授の授業であればマナー、モラルと言っても難しいが、
注意をすると想定される授業なら、事前に捕まえて言葉を交わすだけで解決できそうだ。
mkのアルカイックスマイルをもってすれば問題ないだろう。


先に述べたように、大学の授業は金銭と引き換えに得るサービスである。
その価値を下げるような輩がいるなら、修正を求めても良い。
例えばレストランで、千円払って300gのハンバーグを注文したのに、冷食のミートボールを出されれば困ってしまう。
レストランではサービスを創造する人間は店の店員だけ。
お客さんは自分で肉をこねたりしない。
一方、共創の産物である授業は、受け手である生徒と一緒に創る。
その際は人対人であるので、場に応じたマナーは当然求めたいものだ。
今回のようにマナーとして求めることができるか否かが、難しいこともあるだろう。
だが、先に述べたマナーレベルのテリトリーは、外からの影響で広げることが可能だ。
すべきことはそれだろう。
実際、mkがこうして訴えることでハッとした人もいるかもしれない。


さすがは僕が認めるGODD GUYである。
そして、僕もそれの一助になればなと思うのです。
| まじめな話 | 17:03 | comments(4) | trackbacks(0) |
概論から各論へ
今日も卒論の加筆修正のためにブログサーフィンをしていました。

最近ビジネス系のブログを読むようになりましたが、その際いつも感じることがあります。
それは、カタカナやアルファベットが多いということ。
現場でそのようなやり取りでされているからでしょうが、分からない言葉をよく見ます。

つまり、一見、表面的なキャッシュアウトは少なくなっていたとしても、事業リスクが上がっている分トータルコストはさして変わらないというケースはありうる。実際、オープンソースを取り入れてシステムを再設計したがさほど変わらなかったという話は、名の知れた企業の方にヒアリングしていてもたまに出てくる話である。
Web2.0とCGMにもしかしたら欠けているかもしれない要素(CNET)

このようになります。

必ず1行に一つはカナ文字の単語が混じるのです。
僕は上の文章はスッと読めましたが、全てが楽に読み込めるわけではありません。
例えば、下記の単語の意味が分かりますか?

・パーセプション
・コンポーネント
・コンテキスト

(答えあわせの前に、是非コメントにあなたの答えを書き込んでみて下さい)

いずれも聞いたことはあるかと思います。
僕も聞き覚えはありました。
ですが、肝心の意味が分かりません。。。
文脈判断しかしていなかったために、調べる作業を怠っていました。
これはよくありません。
そこで、僕オリジナルの簡素な用語辞典を作ってみました。
これから調べた用語は逐一メモしていこうと思います。
間違い等あったら指摘して下さい。


先程、シュウカツで面接を受けた会社の社長ブログを見つけました。
確か志望度が3番目に高かった会社です。
1次面接で落ちました。
説明会と面接での雰囲気の差に戸惑ってしまった覚えがあります。

どうにも苦い気持ちになりましたが、ブログの中でいい言葉を発見しました。
それが今回のタイトル『概論から各論へ』です。
例えば、「Web2.0って何?」と聞かれて返す答えは概論です。ですが、
「Web2.0をクライアントに当てはめると?」には各論を導き出す必要があります。

考えてみると、僕は概論ばかりで各論まで導けていませんでした。
軽い口先だけではこれから論じることはできません。
いかにしてテーマを個別に落としこんでいけるか・・・、そのためには一つ一つの言葉を丁寧に拾い、噛み砕き嚥下することが大前提としてあると感じました。
今回の試みはそんな所から端を発しています。


落ちてはしまったけれど、教えてくれた社長に感謝です。

| まじめな話 | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
どうして僕がバスケットボールとイベントプロデュースをこよなく愛するか?

なんとなくですが、分かったような気がします。


『終えた瞬間が心地良いから』

『“本気でやること”がスタンダードだから』

『本気で仲間とぶつかり合いながら頂上を目指せるから』

『上を目指すとキリがないから』


来年就職する会社の中でも、そうやって仕事ができれば幸せに思います。
| まじめな話 | 15:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
“LOHAS”は商標登録されていた!?
びっくりしました。
ソースはR30さんの「LOHASは「サブマリン商標」の成功事例か」です。

これで“LOHAS”という言葉を使うために、お金がかかることになります。
既に他社で動いていたプロジェクトもあったことでしょう。
どう対処するのでしょうか。

ちなみにLOHASとは『Lifestyles of Health and Sustainability』の略。
健康的で持続可能な生活、生き方と訳せるかと思います。
要はシンプルスタイル、エコライフ、スローフード等の言葉を引き継いで上手く纏めたものと言ってよいでしょう。
雑誌「ソトコト」を中心に、よく新聞の文化面等で特集が組まれていたので、知っている方は多いと思われます。
でも、まさか商標登録してるなんて.....。
R30さんは『サブマリン商標』と称していますが、まさにステルス。

≪耳障りの良い言葉で煽るだけ煽って、ある程度浸透させた後は、自分達だけで独占してお金儲けですか???≫


そう思われても仕方ないでしょう。
これはPRのミスですね。
ホワイトバンド並のネガクチコミが発生することが予想されます。
やるとしても、“LOHASブランド”を傷つけないような上手い方法はなかったのでしょうか?うーむ。。。


ちなみに三井物産がそのライセンス事業を立ち上げるそうです。
LOHASカフェ、LOHASハウス、LOHASドレス、いくらでも考えられそうです。
僕は絶対に買わないと思いますが。
| まじめな話 | 19:32 | comments(0) | trackbacks(2) |
もう雑誌、新聞は読まない?Long tailとCGM
マジメなマーケティング、メディアに関するお話。
最近HOTなキーワードを使って、タイトルを付けてみた。

「新聞なんてものは誰も読まないよ。」というのは良く聞く話だ。
このような話は僕も随分昔から聞いている。
ただ、内在する意味は昔と今では全然変わってしまった。
昔であれば、漫画等の影響から若年層の活字離れを皮肉るお話だったのに、
今では「本当に新聞社というものは無くなってしまうんじゃないか?」
という、業界に関係する大人の危機感から使う言葉になってしまったのだ。

Long tailの話の前にちょっと回り道。
パレートの法則というマーケティング用語がある。
別名20:80の法則。
要するに全体の20%の顧客が全売り上げの80%に貢献しているというものだ。
これは確かアメリカの航空会社の例が有名だったはず。
飛行機というサービスは、使う人は多く使って、使わない人はほとんど使わない。
これはマーケティングの講義を受けると必ず出てくる有名な話だ。

だが、「実際にはこのパレートの法則が崩れているのでは?」
という会話が始まっている。
それがLong tailのお話だ。
Long tailとは言うならば「その他の集積」のこと。
パレートの法則でいえば、全体の20%の人間が払う金額よりもその他80%の人間の金額をかき集めた金額が大きくなり、法則そのものが崩壊しているというのだ。
このLong tailの原因はインターネットによるものだとされている。
これまでは、マス広告でしか商品情報を容易に得ることができなかったのに、
Google等によってそれが簡単にできるようになったからだ。
一つ一つの商品にネットという平等なメディアが付くことになったわけである。

で、新聞、雑誌の話に戻るが、
何故に読まないのかというと、新聞等のマスメディアを眺めるよりも、ニッチなCGM(個人発のメディアの意)に目を通していた方が、お金もかからないし、楽だからというのが大筋の意見だ。アメリカではGoogleニュースに軽く目を通し、お気に入りのブログを読むことだけを情報収集とする人が増えているらしい。つまりは先に挙げたニッチの集積の方を選択している人間が増えているということだ。僕も試しに1週間マスメディアを一切目にせず、その分巡回するブログ数を増やしてみたが、これといって支障は無い。それぞれ勝手に“ニュース”、“ビジネス”、“趣味”とカテゴライズさせてもらったブロガー達の元へ巡回すればそれで僕の欲は済んでしまうからだ。
確かに、たまには新聞見たいなとか、NHKニュースみたいなと思うこともある。でもそれは最大公約数的話題を知っておきたいという思いからであって、情報を得る際に抱く純粋な意味での「知りたい」「分かりたい」とは少し違うような気がする。
最早、カテゴライズされた中の一つにしかなっていないのかもしれない。
“ニュース”“ビジネス”“趣味”“一般ニュース”みたいに。

メディアにおいてもこのLong tailな現象進むことで、マスの価値が弱まり、CGMの価値が相対的にいって高まっていくのではないだろうか。マスメディアはかつての絶対的な存在から、ただの選択肢の一つになるのだ。
購買プロセスにおけるAIDMA(注意→関心→欲→記憶→行動)
から
AISCEAS(注意→関心→検索→比較→検討→行動→共有)
への変容も併せて考えることができるだろう。
注意、関心はマス、検索、比較、検討、はブログ、共有はSNSみたいに。
ブログやSNS等のCGMに乗って発信されるクチコミは、これから更に注目度は増していく。これらと上手く付き合うために、企業は今までよりも苦労をするようになるのだろうか?もしこの問いがYESなら、ネガクチコミを恐れて更正する企業が出てくるかもしれない。そう考えると、個人が楽に情報を発信できるツールができたというのは興味深い。


僕が今書いている卒論のテーマは「広告志向からPR志向マーケティングへ(仮)」というもの。この論文を書き始めてから、ブログのお気に入り登録数が3倍以上増えた。
雑誌のコラム以上に面白いブログなんてたくさんある。
これがタダで読めるのだから嬉しい。


ちなみにこの記事はkatolerさん『マツケンサンバ・ブームのLong tail構造』を見た影響で書きました。
| まじめな話 | 17:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
Walkman A 待つは悲しき末路か..................
ぐもーん
先日、SONYがi-podに対抗する形で新型のHDDプレイヤーを投入した。
その名もWalkman A 。
この新商品のために様々なプロモーションが取り行われているようだが、
その中でブログを使った試みがあったらしい。
悲しくもわずか3日間で炎上したようなのだが。。。
今回はこの一連の事件を考察していきたい。

舞台は“So-net blog『ウォークマン体験記』★カワイイ★のがいいの!”。 (閉鎖済み)
モニターに選ばれたあるOLが赤裸々に綴る体験記という設定だ。
ブログやSNS等を活用したクチコミプロモーションを行う際には、いくつかの条件があると思われる。中でも絶対条件は“利害関係抜きである”、“ブロガーと企業の立場が対等である”点だろう。これを満たしていない場合、クチコミのパワーの源泉である信頼性が失われるからだ。

さて、当のブログでは、Walkman Aが自宅に配送され、専用ソフトのインストールや、その他設定をしていく様子が日記として綴られていく。
だが、この一連の様子を見ていた閲覧者はいくつかの違和感に気付いていくことになる。
・掲載されている写真がプロっぽい。
・わざわざWalkman Aのためにパソコンを買い直している。
アップル社に批判的な文章が並んでいる。
等々。

重複もありますが、詳しくは↓のサイトをご覧下さい。

Propeller-head ONLINE: ソニーの自作自演力は世界一ィィィ!

林檎の歌:こんなので宣伝に成るの?

Walkman A シリーズについての噂をまとめてみる。:「よいしょブログ」逃走か?


以上のことで“利害関係”の疑いが持たれ、ネガティブなコメントが殺到。
あっという間に閉鎖とあいなった。
また、ネガティブクチコミは1人につき10人に広まると言われるように、ネット上でWalkman Aの悪評が広まるという最悪の結果に至ったと言えそうだ。
実際にamazonでは以下のレビューが掲載される始末。

79 人中、68人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

購入する前に, 2005/11/24
レビュアー: mulligan - 自分が書き込んだレビューをすべて見る

こちらのサイトをみることをお勧めします。
http://gelauftman.seesaa.net/

iPodの一人勝ちという状況は決して消費者にとってよくないことだと思いますが、
ハード、ソフト、音楽配信を有し唯一対抗できる存在であるSonyがこんな商品を 発売しているようではしばらくアップルの天下が続きそうです。


このダメージはSONYにとって小さくはないだろう。
PSPの「仕様である」発言等から典型的なプロダクトアウト企業として疑心の目を向けられている所に、虎の子のWalkmanブランドにまで傷が付けられてはどうしようもない。
特にApple社に対するネガティブな文面の連発はマズい。。。
このことでネガクチコミは更に勢いを増している。
僕もMDプレイヤーまでしか持っていなくて購入を考えていた一人だけど、
絶対Walkman Aは買わないもんなぁ。。。


アメリカではワーナーレコードRaging Cowというミルク飲料がブログを使ったマーケティングの失敗例として有名だ。
だが今回の事件で、日本の有名な失敗例としてWalkman Aはその名を永遠に刻むことになりそうである。

| まじめな話 | 01:14 | comments(3) | trackbacks(0) |
11月23日のイベントをお手伝いをして再確認したこと
一昨日に先輩がプロデュースしたイベントを手伝ってきた。

無事に公演も終えて会場内のバラシも終わり、後は物を車で運ぶだけ、という状況になった時、僕はその先輩と2人だけになったので色々と話ができた。
他の面々は打ち上げ会場に向かっていたり、解散する等していたからだ。

僕「終わりましたね。どうです?終えてみて率直な感想は?」

先輩「コンテンツは良いものができたと思う。でもマネジメントは全然ダメだったね。」

ふむ。なるほど。

僕はそう思った。
似た感想を僕も抱いていたからだ。
舞台の出来は良かったし、立見がでるんじゃないか?と心配になる程、入りも良かった。
ただ、舞台終了後の風景はあまり感心できるものではなかったのである。
一つだけ言うと、奇しくも昨年のMUSICA FESTAのボランティアをした時と似た思いをしたということだ。
それは『指示系統の煩雑さ』である。
ディレクターは極力“思考→判断→指示”にだけ徹し、実際の作業は人に任せる。
そして指示された人間はその指示に従う、役割をこの2つに分けることだけで驚く程作業のスピードはUPするのだ。
無論指示された人間も“思考→ディレクターに提案”はしても良い。
だが“判断”はあくまでディレクター、プロデューサーが行うべきだ。
そうでなくば際限なく“その場だけディレクター”が増殖し、混乱を起こす。
「個々人がフレキシブルにその場に対応する」という言葉は聞こえはいい。
それがベターな場面も当然あるとは思うが、少なくともイベント運営ではそれは少ないはずである。

言ってみればオーケストラの指揮者に近いかもしれない。
ピアノが勝手にピッチを上げたり、ストリングスが即興を始めたりすることは大きなリスクが伴う。
何かトラブルがあった時も指揮者が瞬間瞬間で判断し、全体に指揮をする。
そしてその成果はディレクター、プロデューサーだけでなく、皆が平等に賞賛の拍手を受ければ良い。
僕はそう考えている。

うぬぬ。。。
長くなってしまった。
でも今回の本題はこれから。


先輩「こないだ、広告関係の人に会ってさ。『“ART STANDARD”だなんて、ずいぶん大胆なネーミングしたね』って言われたんだよ。」

僕「へー、それで?」

先輩「『ARTをSTANDARDにするなんて無理でしょ?』『ARTはSTANDARDにするっていうものじゃないんだから』って。うーん、考えちゃったね〜。」


僕も思わず考えさせられた。
そんでその人達の言い分も良く分かる。
と言うのも、
そもそもARTSは客観できるものではないからだ。
ARTSは良いも悪いも主観で観ることしかできない。
結局はthis arts、the arts等の、主観の集合体でしかないのだ。
“ARTSはあなたの心の中に.....”とでも言うべきか。
ひっくるめて、ARTSとは○○なものだ!!ということは難しい。

少し話が飛ぶが、以前B社の1次面接を受けていた時、ARTSの話になった。
そしてこう聞かれた。

面接官「シミズさんはARTSとDESIGHNの違いは何だと思いますか?」

僕は答えた。

僕「ARTSは目的であると同時に手段です。DESIGHNは目的が別にあり、その手段がDESIGHNです。」

これは僕が2年近くARTSに関わった末に出した、一つの結論だ。
極端な例を出そう。
現在横浜トリエンナーレで話題の川俣正氏の作品の中に、“作品を創る様子を見せる”という作品があった。
ギャラリーにはラインが引いてあって、そのラインより中に観客は入れないようになっているが、通常そのラインの先には作品が佇んでいるはずである。
しかしその作品の場合、ラインの中では作者が作品を創っている真っ最中。
だが、これも“作品を創っている様子を見せる”というARTなのである。
ARTSは基本的に何でもアリなため、(もちろん作家には線引きがあろうが)
似たような作品は他にも数多くある。
恐らく強引にARTSを手段と目的にアーティスト以外が分ければ、
・手段→創作活動
・目的→作品展覧
となるのだろうが、それも上記の例からいってもできない。

僕は“the art”をマスで普及させることは不可能だと思う。
あくまでone to oneな接触しかできないはずである。
それは、人によって人参やピーマン以上に好き嫌いの差が別れるからだ。
だが“ARTS”ならどうだろう?と、ここで思う。
確かに“the arts”をSTANDARDにすることはできない。
でも、それぞれ好きな“the art”を見つけ、近づいてもらうことは不可能なことか?と。


僕は今後one to oneな活動しかやらないと思う。
アーティスト不信シンドロームと診断されている僕ではそんなものだ。
けれど、先輩にはto マスの活動を期待したい。
お手伝いもできる限りやりたい。

まずは、やっかいな病気を治すことから始めなきゃだけど。。。
| まじめな話 | 20:41 | comments(5) | trackbacks(0) |
injection
毎週木曜の午後は卒論指導。
僕はとあるマーケティング手法に関して書いているのだが、どうしても代理店的視点で書いてしまう。
それはやはり影響を受けている方々がそうだから、という理由がある。
でも、それを見透かした僕の先生は言った。

「オマエは企業の手先になってるんじゃないんだよ!!企業のエージェントじゃなくて、顧客のエージェントになるんだろ!?」

ぐはー


刺さった


いや、本当にそうだよなと思います。
僕の就職先も代理店なわけですが、この視点は無くしちゃいけない。
散々アーティスト不振になるだけならまだしも、僕はあくまで顧客、消費者のエージェントになるべきなのです。
これを忘れてたもんだから、『クチコミをコントロールするためには...』
とか書いてるんだよ。


忘れないように記しときます。
| まじめな話 | 19:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
お芝居で感じてた妙な感覚を理解したと思うのです

先日、お芝居を久々に観てきた。
僕は基本的にお芝居を観ることに関して消極的だ。
その時間とお金があるなら、ライブに行ったりCDを買った方が良いと思ってしまう。
だからこれまでお芝居を観る時は、付き合いや“芝居を観ているという行為に酔いたいから”という理由がほとんどだった。
これが、正直なところである。

絵画や写真を観る際にも行為に酔う、という面もあるが、
僕にとって、それらには『その中に在るであろう“何か”を感じようとすること』の楽しみがある。
絵画や写真はそこにあるだけで何もしないから、のんびりその行為に没頭できる。
芝居ではそれができない。
耳から情報が次々と入ってくるからだ。
それは後々述べる理由も関係しているんだろうけれど。

僕はお芝居を観ることで得られる対価に、あまり魅力を感じることができていなかった。
一方で、僕は映画は割と好きだ。
この差は何か?
芝居の何に妙な感覚を抱いているのか?
その“何か”に先日、偶然気付いた。


原因は『演じていると思われる行為』だった。
僕はそれに嫌悪感を抱いてしまうのだ。
映画を観ている時、その役者に対して『演じている』とは感じない。
彼らはあくまで“ある人”の役に徹しているだけで、“ある人”がする以上のことはしない。
僕も“ある人”がどうなるかに興味があるだけであって、その役者が何をするかに興味はないのだ。

だが、これはあくまで“実に僕個人の独断と偏見に満ち満ちた”所感であるのだが、
僕は演劇の役者達は『“ある人”の役を演じているというパフォーマンスをしている』ように見えるのだ。
このパフォーマンスが僕には気に入られないらしい。
大きな声を出したり、大袈裟な表現をしたり、
逆にお芝居が好きな人はこのパフォーマンスが好きなのだろうか?
どうなんだろう。

多分、そのパフォーマンスを楽しめれば良いんだろう。
でも今の所、楽しめていない。


先日観たお芝居は「邦画に近いな」と言うのが僕の直後の感想だった。
こんな感想を持った観客は僕ぐらいではないだろうか?

将来、芝居の全てを楽しめるようになれればなと思う。
震えるような感動を僕だってしたいのだ。


| まじめな話 | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウゴウゴルーガってあったよねと言いつつ、フェイドアウェイジャンプシュート。
最近割と悩ましいのです。
色々と考えることがあって。


僕がアートに携わるのを止めて、1年ちょっと。
「疲れたから、一旦休もう」
と思ってから、もう大分時間が経ってしまった。
楽しいこともたくさんあった。
けども、しんどいこともたくさんあった。

アートとは何か?
何がアートで何がアートじゃないか?
良いアートとはどういうものか?

今でも分からないことだらけである。
実際、好きなアート、分からないアート、嫌いなアートと分けることだけだ。
僕にできたことは。

「何で今やってないの?」
と問われれば、それは僕のモチベーションが回復しないためである。
検討しようとすると、浮かび上がってくるのはネガティブな感情ばかり。
僕は、アートは好きになったかもしれないが、アーティストに対しては必ずしもそうでもない。
むしろ彼らが怖い。
アーティストや彼らを取り巻く人々に、良い想いを抱けなくなってしまったのだ。

こないだ3on3大会に出場した際、DJが会場に来て音楽を流していた。
よく分からないHIPHOPばかり流していたが、その時彼らに抱いた感情に近いのかもしれない。
まるで、

『これが俺だ!!どうだ!!凄いだろ!!』

と耳元で絶叫されている気がして、気分が悪かった。
あくまで、たまたまその時にそう感じただけなのかもしれないけれど。


今後僕は、アートに関系する仕事に関わることがあるかもしれない。
その時はどんな気分なんだろうな。
少しだけ、気になるところだ。


| まじめな話 | 17:59 | comments(2) | trackbacks(0) |
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