ダダからコメントを頂いた。
なんというか、まさにそういうレスポンスを返して欲しかったというか、とにかく最高なアシストパスを受けたので、コメント欄じゃもったいないから、コッチで返します。
僕が大学時代にやっていたことは、アーツマネジメント、アーツマーケティング。
僕的に訳してしまえば
「アーツとかデザインの垣根を下げて、一人でも多くの人に輪の中に入ってもらおう。」
みたいなことだった。
『アーツは美術館や劇場に行って観る物』
『デザインはどっかで誰かが創ってるカッコいい物、カワイイ物』
踏み入れるのに勇気が要りそうなこれらを一人でも多くの人に“そうじゃない”って理解をして欲しかったのだ。
アーツやデザインは“日常に”こそあるべきものだと。
と、こんなことをして、そんなことを大学時代に考えてきた。
アーツマーケターになろうと必死だった時期もあったが、
今思い返すだけで最悪な気分になるようなことが重なって、辞めてしまった。
もちろん
昨日のエントリーにあるように、
ココまで書いた過去の僕とは“ある時”の僕であって、
“別な時”も確かに同時期に存在していた。
微妙に話が前後するが、
『日常にこそ』と考えていたからこそ、僕は“カフェ”に惹かれていた。
“カフェ”の場こそ、まさに理想とするものだったのだ。
“カフェ”は“ある時”の位置から“別な時”を目指した先だとも言える。
これは1つ目の、僕が今なお抱いている目標だ。
シュウカツという時期があって“別な時”の僕が攻勢になり、
“ある時”は焦燥感や不安、経済的な問題から弱くなってしまった。
また“別な時”の僕は、シュウカツの中で人生を変える某社と出会った。
そこで彼等が掲げるものが“別な時”と“ある時”の融合した姿に見え、
僕は“別な時”の位置から“ある時”を目指そうと考え始めたのだった。
これが2つ目の、僕の目標だ。(某社の試験には落ちてしまったから)
分かりづらい。ごめんなさい。
反省はしません。
ここまで書いたことは、いわゆる昨日のエントリーの背景です。
昨日には書けなかった、今日始めて書くことのできる文章です。
ダダが言う、
> デザインっていったらプロダクトや広告
> アートといったら絵画と彫刻
> みたいな偏見と距離感をなんとかなんねぇかな
> あれは本当に勿体無い とか思う
> (でも最近少しずつ変わってきてるね)
このコメントの僕なりのレスポンスは、まず上で書いたことが半分。
あともう半分。
今、僕が平日やっている仕事は営業。
そこに先述した『日常にこそ』を持ち込むことは少なくとも今の僕にはできない。
そこでは“別な時”の僕が欲するモノが転がりまくっているため、
現状では“ある時”が入り込む余地がない、というのが実情であり、
“ある時”を平日に持ち込もうとする気も起きないのが実感である。
正直にいうと、
「今は“別な時”の寡占でいいや。もう少し“別な時”のトレーニングをしてから“ある時”側の言い分も聞こう」
というのが本音だ。
こないだsamurai氏と会った時にも感じたのだけれど、今の時期は修行と思っている。
理想を追い求めるのはその後にしようと。
そうじゃないとリアル世界にアジャストできないだろう、と思うから。
なんか言い訳がましいようで自分でもウンザリだけど、
これが返答になります。
レスポンスの方向と角度間違えてないよね?
そう思いたいなぁ(笑)
赤面ものだよ、いやホント。
でもこれで、僕のカフェにグラフィックデザイナーが一人加わった。
シシシ(笑)