mkの
『授業中は帽子をとれよ、このやろう。』に反応して書きます。
是非このエントリーを読む前に上記のリンク先を見て下さい。
まず帽子、マナー云々の前に、“大学の授業”について意見を述べておきたい。
一つは↓でmkが書いている点。
授業というのは、先生と学生で作られる。
そのどちらかが欠けたら意味を成さなくなる。
その双方で作られるからこそ、
双方の最善の歩み寄りが必要である。
よって、いい授業を作り上げていくのは
先生であり、学生なのだ。
これはまったくもってその通りだ。
僕の先生の言葉を借りるなら、授業とは“共創の産物”である。
先生、生徒、どちらか一方がいなければ成立しない。
「教授は学生が払っている学費でメシ食ってるんだから、
それくらいは我慢すべきだ」というようなことを
言う人もいるかもしれないが、それは違う。
だったら金払ってる人は何してもいいのか?
学生と先生が作り上げる授業の場において、
先生だけが学生にへりくだる必要なんて全くない。
僕達は金銭を支払って、授業という名のサービスを受けていると言える。
だがこのサービスは両者の行動、言動によってその価値が変化するサービスだ。
何故なら共創の産物だから。
先生が二日酔いであれば価値は下がるし、生徒が大音量でPSPをプレイしていたならやはりその価値は下がる。
すなわち、授業というサービスを受ける際、
“最大価値を享受したければお互いの努力と真摯な態度が必要だ”
と先に述べておく。
これが前提。
<以降、客観で述べているつもりですが、いくらか主観が混じっております>
『授業中に帽子を取るかどうか』の話に戻る。
この提起にはクリアにせねばならない点がある。
それは『帽子を取る』ことが授業の場においてマナーとされるのか?という点だ。
この点に関してmkは以下のように述べている。
「授業中に帽子を被っているのはなぜマナー違反なのかがわからない」
ということを言う人もいるだろう。
ではマナーとは何なのだろうか?
マナーとは「人を嫌な気分にさせないための共通の決め事」
というふうに定義づけられはしまいか?
なるほど、と思う。
イギリス人ならイグザクトリィ!とでも言いそうだ。
このmkの意見を受けて僕の意見。
そもそも
マナーにはいくつかのレベルがあると思う。
・就職活動で面接を受ける学生が気にすべきマナー。
・セミナー参加時に参加者が気にすべきマナー。
・地下鉄で移動中に気にすべきマナー。
・友人と会話する中でも気にすべきマナー。
その場において求められるマナーレベルは異なる。
無意識にそれに合わせて行動、発言をしているはずだ。
要するに
場に応じたマナーレベルの範囲が存在するだろうということだ。
例えば、友人同士でお茶している時に、
「本日はこのような席を設けて頂きありがとうございました。」
等とは言わない。(上記の言動はその場のマナーレベルの範囲外だから)
つまり、『帽子を取る』というマナー行為は、『授業』という場において求められるマナーレベルの範囲内であろうか?と考える必要がある。
そしてコレの判断がちょっと悩ましい。(mkは即決だろうけど)
多分に意見が分かれるものと考えられる。
マナーか?と問われれば、
「帽子を取ることはマナーです」と答えられるのだろうが、
無意識的に則るマナーか?と問われれば僕は苦しい。
「マナーなんだから帽子取れよ!俺は取るよ!」
と主体的に訴える人間と、
「あぁ、確かにマナーなんだろうから取るべきなんだろうなぁ。。。」
とぼんやりした(行動に移すか移さないかがテンションによって分かれる)人間に分かれているのではと予想できるのだ。
言うまでもなくmkは前者。
ごめんなさい。僕はこれまで後者。。。(これからは前者)
無論、「帽子は俺のアイデンティティだ」とするエキセントリックな人間も中にはいるんだろうけど。
一般論としては『帽子を取るべき』でコレクトである。
ただマナーレベルを=“無意識下でマナーと認識し適応できる範囲”とすると、
『帽子を取るべきか』は場で求められるマナーレベルのライン、ギリギリなのではないかと思う。
よってmkが指摘している、
帽子かぶって授業に出る人間が数人いる。
↓
先生がそれを注意する。
↓
場の空気が悪くなる。
という現象が発生しているものと考えられる。
たぶん、数人が帽子をかぶったままでいることは避けられない。
数学の時間毎にコンパスや分度器を忘れてくる中学生のように、毎回少人数でも発見されてしまうだろう。
ただ、mkの言うケースの場合、
今日も4限のM橋教授の授業中に注意されてるやつがいた。
「おい、授業中は帽子を取れ」と。
うちの大学ではもう聞き飽きた言葉だ。
と最初にある。
注意をしない教授の授業であればマナー、モラルと言っても難しいが、
注意をすると想定される授業なら、事前に捕まえて言葉を交わすだけで解決できそうだ。
mkのアルカイックスマイルをもってすれば問題ないだろう。
先に述べたように、大学の授業は金銭と引き換えに得るサービスである。
その価値を下げるような輩がいるなら、修正を求めても良い。
例えばレストランで、千円払って300gのハンバーグを注文したのに、冷食のミートボールを出されれば困ってしまう。
レストランではサービスを創造する人間は店の店員だけ。
お客さんは自分で肉をこねたりしない。
一方、共創の産物である授業は、受け手である生徒と一緒に創る。
その際は人対人であるので、場に応じたマナーは当然求めたいものだ。
今回のようにマナーとして求めることができるか否かが、難しいこともあるだろう。
だが、先に述べたマナーレベルのテリトリーは、外からの影響で広げることが可能だ。
すべきことはそれだろう。
実際、mkがこうして訴えることでハッとした人もいるかもしれない。
さすがは僕が認めるGODD GUYである。
そして、僕もそれの一助になればなと思うのです。