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STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

マッキントッシュやi-Podで有名な米Apple社のCEO、スティーブ・ジョブスのスピーチを発見しました。

スタンフォード大学の卒業式で読んだものみたいです。

これは良い文章ですね。本当に勇気を与えられました。


以下、転載します。


PART 1 BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

 PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART 3 CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART 4 FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ
一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

 PART 5 ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by
Steve Jobs
CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios

翻訳 市村佐登美



TB先:http://blog.livedoor.jp/tomsatotechnology/archives/50067272.html#trackback

| まじめな話 | 23:21 | comments(3) | trackbacks(0) |
過去と未来と今と

こないだ書いていたように、最近疲れを感じる。

常に何かに追われているのだ。
それはたぶん、主に、期待。

上司からの期待。
同期からの期待。
友人からの期待。

そして自分からの期待。
別名、誇り。

それを受けて必死に自分を追い込みながら走っている。
まるで、必死に息を吸い込みながら泳ぐクロールみたいに。

先日「息継ぎもしっかりしてね」と言われた。
そうだなぁ、と思った。
だが最近は、一息入れることに少し罪悪感を感じるようになっている。

よくない。
たぶん。

結果が全ての平日は、居心地が悪い。
でもそこから抜け出すには“頑張る”しかないのだ。

頑張れ、頑張ろう、頑張る、

頑張り、頑張った、頑張った、

螺旋の深遠さに辟易としつつも、諦念が混じる。
受け止め、流さず、身を沈めることを決めたのは自身であることを理解しているからだ。


今日は少しだけ過去と未来の話をした。

過去は懐かしい。
過去は楽しかった。
未来は楽しい。
未来は素敵だ。

Cafeに沖縄でゲストハウス。
いいじゃん。いいじゃん。楽しそうじゃん。


過去から今へ、今から未来へ。
さぁ、明日から繋ぎに行こうよ。


| まじめな話 | 00:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
ふと思うこと の補足
ダダからコメントを頂いた。

なんというか、まさにそういうレスポンスを返して欲しかったというか、とにかく最高なアシストパスを受けたので、コメント欄じゃもったいないから、コッチで返します。


僕が大学時代にやっていたことは、アーツマネジメント、アーツマーケティング。
僕的に訳してしまえば
「アーツとかデザインの垣根を下げて、一人でも多くの人に輪の中に入ってもらおう。」
みたいなことだった。
『アーツは美術館や劇場に行って観る物』
『デザインはどっかで誰かが創ってるカッコいい物、カワイイ物』
踏み入れるのに勇気が要りそうなこれらを一人でも多くの人に“そうじゃない”って理解をして欲しかったのだ。
アーツやデザインは“日常に”こそあるべきものだと。

と、こんなことをして、そんなことを大学時代に考えてきた。
アーツマーケターになろうと必死だった時期もあったが、
今思い返すだけで最悪な気分になるようなことが重なって、辞めてしまった。
もちろん昨日のエントリーにあるように、
ココまで書いた過去の僕とは“ある時”の僕であって、
“別な時”も確かに同時期に存在していた。

微妙に話が前後するが、
『日常にこそ』と考えていたからこそ、僕は“カフェ”に惹かれていた。
“カフェ”の場こそ、まさに理想とするものだったのだ。
“カフェ”は“ある時”の位置から“別な時”を目指した先だとも言える。
これは1つ目の、僕が今なお抱いている目標だ。

シュウカツという時期があって“別な時”の僕が攻勢になり、
“ある時”は焦燥感や不安、経済的な問題から弱くなってしまった。
また“別な時”の僕は、シュウカツの中で人生を変える某社と出会った。
そこで彼等が掲げるものが“別な時”と“ある時”の融合した姿に見え、
僕は“別な時”の位置から“ある時”を目指そうと考え始めたのだった。
これが2つ目の、僕の目標だ。(某社の試験には落ちてしまったから)


分かりづらい。ごめんなさい。
反省はしません。
ここまで書いたことは、いわゆる昨日のエントリーの背景です。
昨日には書けなかった、今日始めて書くことのできる文章です。


ダダが言う、

> デザインっていったらプロダクトや広告
> アートといったら絵画と彫刻
> みたいな偏見と距離感をなんとかなんねぇかな
> あれは本当に勿体無い とか思う
> (でも最近少しずつ変わってきてるね)

このコメントの僕なりのレスポンスは、まず上で書いたことが半分。
あともう半分。

今、僕が平日やっている仕事は営業。
そこに先述した『日常にこそ』を持ち込むことは少なくとも今の僕にはできない。
そこでは“別な時”の僕が欲するモノが転がりまくっているため、
現状では“ある時”が入り込む余地がない、というのが実情であり、
“ある時”を平日に持ち込もうとする気も起きないのが実感である。

正直にいうと、

「今は“別な時”の寡占でいいや。もう少し“別な時”のトレーニングをしてから“ある時”側の言い分も聞こう」

というのが本音だ。
こないだsamurai氏と会った時にも感じたのだけれど、今の時期は修行と思っている。
理想を追い求めるのはその後にしようと。
そうじゃないとリアル世界にアジャストできないだろう、と思うから。

なんか言い訳がましいようで自分でもウンザリだけど、
これが返答になります。


レスポンスの方向と角度間違えてないよね?
そう思いたいなぁ(笑)
赤面ものだよ、いやホント。

でもこれで、僕のカフェにグラフィックデザイナーが一人加わった。
シシシ(笑)


| まじめな話 | 13:51 | comments(4) | trackbacks(0) |
ふと思うこと

僕は表現者になりたい。

ずっと前からの想いだったような気がするし、ここ数年のものだったような気もする。
どちらにしろ今なお、それは続いている。
竹中絵里の『gerbera』を聴いていたら、急にそんなコトをhmyに書き込みたくなった。

ライブに行ったり、ギャラリーに行ったり、カフェに行ったり、
CDを聴いたり、映画を観たり、小説を読んだり、
例えばそんなことで得られる精神の脈動、心の喜び。
それは少なくとも僕にとってはなくてはならないものだし、実際強く欲している。
だがそんな時、同時に自分が一方的に受け取側にしか回れないことに対して、
酷くうんざりすることがある。
目の前で高らかに謳い上げる歌手を見て、
「なんて気持ち良さそうなんだ」
と思う。強く。
どうして自分は“あちら側”じゃなくて“こちら側”にしかいられないのだろう、と。
僕は、精神の充足を得るための手段として“あちら側”に移ることを目指している。

目指しているわけだ。

名古屋に移ってきてから、土日はまるで強迫観念に駆られているかのように、
カフェに珈琲を飲みに行ったり、本を読み耽ったり、映画を観たりしている。
僕は、それは平日の反動なのだと認識していた。
だがそれは少し違った。

先程僕は“目標”という言葉を使った。
『人生の目標』のような使い方をしてはいないが、そうとも取れるかもしれない。
だが、リアル世界の僕は、実際そんな目標の下で日々を過ごしているわけではない。
平日の僕は仕事をしている。
誰かにモノを作らせて、それを売っている。
そうやって僕は生活をして、生きている。

相反するように見える二面性。
主観から客観に切り替えれば、自分でもそう見える。
なんで?何故?ナゼ?
ある一面は“ある時”に色濃く表出され、もう一面もまた別の時に表出される。
今、僕にとってのこの時間は“ある時”なんだろう。
おそらく念願叶ったように見えた生活に入れば、
もう一方の“別の時”を望むことになりそうだから。
隣の芝生は青く見える、とはよく言ったものだけれど、まぁ的確である。

僕は、いずれ今の平日とはまるで真逆のことをして、生きていきたいと思っている。
例えば、東北でカフェを始めたり、ギャラリーを始めたり。
それはいわば、僕にとっての精神安定剤のようなものなのかもしれない。
相反する二面性、徹底した中庸主義。
バランスという言葉は大好きだ。

ここ最近の土日の自分の様。
それはまるで細い足場の上で必死にバランスをとっている軽業師のようだ。
言葉にすれば滑稽極まりなく、失笑ものである。
部屋のローテーブルの上に置かれたku;nelは妙に寒々しい。
嫌悪感はないが、なんともいえない気分だ。


先は見えない。
現状に大きな不満はないが、それだけなのだ。
どっちも頑張っていくしかないなぁ、という月並みな結論しか出てこない。


とりあえず、将来僕と一緒にカフェを経営してくれるパートナーは随時募集です。
| まじめな話 | 22:35 | comments(2) | trackbacks(0) |
夜回り先生、美と善、その他落書き

昨夜、NHKを見ていたら“夜回り先生”の特集をやっていた。
何度か目にはしていたが、実際に番組をきちんと見たのは初めてだった。

番組を見ていて本当に辛かった。
胸が熱くなり、吐息すら出せなくなる瞬間もあったほどだ。

以下、感想。


僕は福島県で生まれ育った。
小学、中学、高校と人並みの思春期を迎え、終えて、絶望も挫折も覚えることなく少年期を過ごした。
自殺願望や自傷行為に走ることはなく、今こうして普通の新社会人として生活できていることは幸運なのだと思う。

水谷先生が劇中で述べていた、

1、『「デブ」「くさい」等と周囲に罵られ』

2、『昼の生活に背を向け』

3、『甘い言葉で夜の世界に誘惑され、それに乗せられ』

4、『気づいた時にはボロボロになってしまう』

上記のスパイラルに僕は乗ることはなかった。
1、の経験は多少なりともあるが、そこまで酷いものでもなかったし、
助けてくれる人がいたから2、まで進むことはなかった。
周囲の環境にある程度以上は依存せざるを得ない少年期だが、僕の場合はその環境に恵まれていたのだと言える。

一方で水谷先生は、上で述べた子供のスパイラルは全て大人のせいだとしている。

1、『「儲けを出せない社員はいらない」と会社で父親がなじられ』

2、『鬱憤が溜まった父親は、家庭で母親にあたり散らし』

3、『気分が悪い母親は、子供を怒鳴りつける』

自分よりも弱い者へとあたってしまう。
だから、一番弱い子供が社会の痛みをその身に受けることになる。
ホリエモン事件等から示され、最近よく耳にする“格差社会”。
この格差による辛さを最も感じ、苦しんでいるのは子供達なのだろう。


さて、ここからは昨晩枕元で考えていたこと。


こないだ僕がここで書いた倫理について。

重い荷物を引きずる老人に手を貸すこと。
地下鉄で他人に席を譲ること。
ごみはきちんと分別をすること。
人に「ありがとう」ということ。

善を快く感じること。
これが倫理心なのだと思う。
己を律する絶対律とはそういうものなのだ。

そしてそんな人は得てして美しい。
水谷先生も美しいと思うし、僕が尊敬するあの人も美しい人だ。

道徳では善を美と説いている。
それを一面的な各論とはしたくない。
例え、それが己を縛り付けるための惨めな鎖だとしても、
克己が誰か他人の考えた秀逸なコントロールだとしても、

それでも僕は、それのみが手段だと考えてやまない。


閑話休題。


Aが正しいか?それともBが正しいのか?
極端な例を除き、僕は「両方正しい」と言ってきた。
アーツにマーケティングが必要なのか?不必要だと言う者は無知か愚者なのか?
僕は「一理はある。でも確かに...」と言ってきた。
答えがある問いなんて僅かなものでしかないと思う。

中立性、中庸主義者。

どっちつかず、中途半端。

他人に厳しくするためには、自分に同等の厳しさを向けねばならないと思う。
前者のみしかできないことは恐ろしいことだ。
これを中立性と結ぶことは自己満足なのだろうか。。。


閑話休題。


“社会は腐っている”
“世の中に希望なんてない、あってもまやかしだ”
“この世界は虚構だ”

「そんな言葉を吐く人間を見ると虫唾が走る。」

そう言う男は無知なのか?愚者なのか?
遺伝子と外部環境の環から外れることはできるのか?
自覚しているのか?認めるのか?思考を止めるのか?



思考だけは、止めない。




これだけじゃ重いのでオマケ
これもまた考えさせられる。
| まじめな話 | 19:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
今、思うこと

現在、名古屋@ネカフェ。
ネット回線が部屋に入るのは4月後半になりそうだ。

明日から1週間仕事。
昨日内科に行ってお薬を処方してもらってきたし、今日は昼までずーっと寝てた。
モチベーションも問題無し。
肉体的にも精神的にもそれなりの健康状態を維持できていると思う。
心許無いのは懐具合だが、これは来月末までは仕方がない。

これまで3日間しか出社していないが、その中でも思うところがあった。
それは、『ウチの会社の仕事はあくまで仕事である』ということだ。
理想で描いていたような、人の想いに呼応する取り組みとはやはり違う。
もちろん、ウチの仕事にもウチの仕事なりの醍醐味があり、喜びはある。
しかし、それはある程度の割合で自己完結型、内部完結型のモノに過ぎない。
僕が大学で、GROUNDという組織の中で夢見たような要素は含まれていないのだ。
オンとオフが正確に別離されている。
だから先輩は「土日に働いたことなんかない」と言っていた。
僕は別に土日に働きたいと言っているのではない。

不安や期待。
募るそれぞれの色調は異なるが、それら全てを含めて僕である。
今後ウチの会社で働き続けるのも僕。
これからは他人に向ける厳しさを等しく自身に向けることを意識せねばならない。
いわば、強者となるべく僕はココを選んだのだから。


とりあえず僕は、考えることをやめない。
| まじめな話 | 20:52 | comments(2) | trackbacks(0) |
3月17日にお別れをしたみんなへ

17日から3日も経ってしまいました。
先程、ようやく引越しもほぼ完了し、ネット回線以外では以前と同じ部屋が名古屋にできました。
そして、今回も名古屋の漫喫からの中継です。

17日。
卒業式だったこの日。
生まれてきてから一番感情的になってしまった一日でした。
口にしてはいません。
内心で、ということです。
いわゆるアーツによること以外で、あれほど心が揺さぶられ続けた一日は無かったと思います。

それくらい悲しかった。
ただただ、みんなと別れるのが辛かった。

引越しの準備等で、最近hmyの更新ができなかったけれど、
更新ネタとして、京都旅行以外に大学生活のマトメのようなものを考えていました。
今日はそれを交えて、切々と語っていきたいと思うのです。


最近読み始めた小説に、
『外なる道徳、内なる倫理』
といった表現がありました。
道徳とはいわばレベルの差こそあれ“ルール”のことだと僕は理解しています。
レベルが上がると法律になるものです。
一方、倫理は一人一人それぞれ本人が決めるもの。
まさに自分を律し、自身の行動コンセプトになるものです。
この世界には倫理がズバ抜けて素晴らしい(という言い方にしておく)人間がいます。
例えば、マハトマ・ガンディ、マザー・テレサ。
道徳はそう簡単に変化しません。
だけど倫理は結構簡単に変化します。
「他人に親切することは素晴らしい行為だ」
「他人を感動させることこそ、生きる目的である」
等々。
価値観の変化とも言えるはず。
例えば、良い映画を観たことで、良い本を読んだことで、良いブログを読んだことで。

僕は宗教を信じていないし、一人の人物に完全に傾倒することもしていません。
だから“自分システム”は自分で構築しなくちゃいけない。
『神がそう言ってた』『誰それがそう言ってた』
からといって、完全にそれらを適用することはできないのです。
そこで“倫理”が必要になってくる。

そしてこの倫理こそ、大学4年間で最も成長したパーツだと僕は考えています。
知人から「変わった」と言われるのも、この要素が大きいのではないか、と。


この僕の変化は、確実に皆のおかげです。
皆と会話し、議論し、何かに一緒になって取り組む。
それらの集積は中学、高校、その他の人生期間の中でも飛び抜けて高いものでした。
本当にただただ感謝したい。
3月17日にお別れをした、ココを見る可能性のあるみんな。

sone、A4、モン、キャン、ライト、chuson、フクスケ、J、hisasiburi、koya、Yヘー、kwb、かずま、オカ、ツカ、和尚、バシ、カトゥ、フィンランド、クマケン、タッキー、ゆっかり、のん、ワガツマ。
まっつんさん、まっさん、あきゅさん、junoさん、カンザキさん、スズキミさん。
あまり話はできなかったけど、mkks、椿ちゃん。


卒業なんかで関係が断たれるべきではないと本気で思えるみんなへ。
本当にありがとう。

皆といる時でも、一人でいる時でも周りが気になって泣けない僕は、心で何度も泣きました。


無知から無知である己を知ることで中庸主義者へ。
その先の更なる転換は、この名古屋の地で果たそうと思います。

みんなまた会おう!!
それまで、少しでもカッコいい人間になれるようガンバリます。


| まじめな話 | 20:08 | comments(5) | trackbacks(0) |
人生を生き残るために
近頃、人様の紹介ばかりで恐縮ですが、それでも良い文章は紹介せずにはいられないのです。


新年:人生の遭難とサバイバル


是非読んでから、どうぞ。

遭難者がどんどん危機の深みにはまるのは、道を見失って迷ったときに
「こんなはずではなかった」
と、「予定されていたあるべき自分の姿」と「現実の自分の姿」のギャップに惑乱、むやみに動き回って「予定されていた自分の姿」に戻ろうとするから。

人間は、常に「あるべき環境」の地図を頭の中に持っている。その地図=メンタルマップと、実際の周囲の環境を照らし合わせて「自分」を認識する。この「メンタルマップ」と「実際の環境」の間のマッピングが大幅に狂うと、パニックに陥る。

人の多くは自身の理想像を持っています。
・カッコいい自分
・頭のいい自分
・デキル自分
それら理想に近づけるよう、考え、振舞います。
しかし、上手くいく時もいかない時もあるわけで。
結果として、上手くいかない場合があった時はそれはそれで仕方がありません。
問題なのはその後のようです。

迷い始めた遭難者は、マッピングができなくなっても、「実際の環境」に基づいた「メンタルマップ」を再構築するのではなく、逆になんとかして「実際の環境」を「メンタルマップ」に近づけようとする。

「こうすれば、元々知っていたメンタルマップの世界に戻れるのでは」

と、自分がいる場所がどこかもわからないのに、さらに新たな道に分け入り、どんどん深みにはまる。



かように、「あるべき予定の姿」というメンタルマップと、「現実の周囲の状況」がかけ離れたときに、自分のメンタルマップの方を修正して再構築できる力が、サバイバルで一番大事なことなのである。

新たなメンタルマップができれば、正しく「現実の周囲の状況」を分析、それに基づいて新たな生き残りのためのプランを立て、それを実行していく余裕もできる。

「こんなはずじゃなかった。」から「ふむ。さてどうしようか。」へ。
予定と現実がズレた時、予定を一旦リセットすることができるかが重要ですね。
僕がよく自己啓発のために使う言葉で、
「その瞬間瞬間でベターな選択肢を選び続ける」
という言葉がありますが、どうもこれはサバイバルでは至言のようで、

『現状を把握、分析し』→『プランを立て』→『実行する』

『その瞬間瞬間で(現状を把握し)』→『ベターな選択肢を選び』→『(実行する)』

イコールでした。
自身の言葉が最適化されていくのは助かります。


遭難時に最も生還率の高いのは6歳以下の子供だそうです。
子供は適格なメンタルマップ(理想像)を持たず、実際の環境の中で順応しようとするから、とのこと。
子供に負けていられません。
僕達も人生で遭難しないよう、この教訓はしっかりと持っていたいものです

| まじめな話 | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブログ化の未来?
ここを是非見てみて下さい。


世の中は本当に上手くできているもので、華やかな事象の裏には悲劇もどこかに存在しています。

高度経済成長、大量生産大量消費⇔環境破壊、公害
ライブドア、楽天⇔クレイフィッシュ
ヴァンフォーレ甲府⇔ベガルタ仙台

ブログやSNSが今よりももっと普及し、WEB2.0がまさに環境になった時、
そこにはどのような悲劇が待ち受けているのでしょうか?
僕等にできることは知ろうとすること。
考え、行動する前の準備を怠らないようにしたいものです。
| まじめな話 | 23:46 | comments(2) | trackbacks(1) |
勉強中なのです
また日が空きました。
実は更新するだけならできたのですが、ちょっと中身に納得できず出せませんでした。

書いているテーマは流行りの“Web2.0”について。
ここ最近では「きっこのブログ」関連とWeb2.0ネタをよく目にします。
先日も挙げていたように、概論だけで分かった気になっているのは危険だと感じているため、もっと自分なりに情報をカスタマイズしてから引き出しにしまっておきたいと考えています。「きっこのブログ」関連もですが、“Web2.0”は来年からの就社先で必要な知識ですので、各論に落としておきたいなと思うのです。
いかんせん理解に時間がかかっています。
面目ない。。。


スピード&クオリティ、ロジック&エモーション


これらの両立は難しいですがやりがいがあります。
| まじめな話 | 19:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
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